『戸隠冬紀行』

 


 私は早朝の街が好きである。

 靄の立つ女鳥羽川沿いを自転車で行くのが好きである。手がかじかむ三月、春の到来を感じる日差しを浴びて、まだ寝ぼけ眼のような街並みをじろじろ眺めながら快走するのが好きである。滅多にしないことだから、してみて改めて好きであることに気付く。

 平日の早朝である。街は当たり前のようにせわしない。

 行き交う自動車はどれもこれも、モーニングコーヒーの足らないような顔の男女を乗せて、遅刻しまいとばかり焦っている。ふらふら自転車を漕いでいる私など轢き殺しかねない勢いである。私は彼らを眺めながらゆったりと自転車を進める。

 川沿いの『魚平』では若い店主が露台に砕いた氷を敷きつめている。素手では冷たかろう。

 喫茶店『おきな堂』のマスターは客寄せのメニューボードを出して開店の準備をしている。今日は天気がいいから、そこそこの来客を見込めるだろう。

 さらに川沿いを行く。

 増田家具店は閉店して二、三カ月が経っている。埃の着いたショーウィンドーの奥はがらんどうで薄暗い。

 本町通りの交差点の横断歩道は赤信号である。

 信号待ちをする人は私の他にも数名いる。携帯電話を掛けている人が二人。両方とも示し合わせたように腰に手を当て、大胆なポーズで電話している。地球防衛軍が敵撃退の快挙を本部に報告しているかのようである。一人は快活に笑っている。一人はしきりに相槌を打っている。こういう姿を人前に晒して恥ずかしくない世相を創ったのだから、携帯電話は偉大である。

 私はさらに自転車のペダルを漕ぐ脚に力を入れる。

 松本駅に到着。

 駅前の大掛かりな整備が終わったばかりで、清潔で洒落ており、無駄が無い。その分面白みもない。駅としての味わいを出すには、これから数年がかかろう。

 自転車を駐車場に入れる。およそ自転車に乗りそうにない老人が出てきて、一日百円だと言う。「二日」と私は答える。一泊の旅をするのだから二日分だ。しかも今回はひとり旅なのだ。年がら年中生活費を稼ぐことに忙殺される日々の中で、ようやく得た特別休暇である。通勤でごった返す早朝の街が心地よく目に映るのも、多分にそうした事情があるからなのだ。私にとっては実に特別な二日間なのだ。そういった万感の思いを込めて「二日」と言ったのだが、自転車置き場の老人は、罰金でも課すかのように、「二百円」とぶっきらぼうに言い返した。

 日常は非日常に対し、常に無愛想である。


 特急電車は長野市に向かう。

 特急の割には駅のない所で一時停車したりして、歩みは決して速くはない。車窓にはざんばらに髪を振り乱したような枯れすすきが映り、そこここには残雪も見え、およそ春が近付いている様子は見えない。

 乗客たちはみな、指導を受けたかのように静かである。

 私は結婚して家族がある。今までも、知人に会うなり、恩師を訪ねるなりの理由で一人家を出たことはある。しかし今回は誰かに会うのが目的ではない。宿も取っていない。到着地の下調べすら碌にしていない。どうにでも計画変更が可能な旅である。こういうことをするのは何年ぶりであろうか。なぜ、今、一人旅なのか。何を求めて旅するのか。そもそも、一人旅など許されるのか。それらの自問に自答するには、もう少し歩き疲れた後でなければならないであろう。

 車窓の景色はなかなか晴れない。


☆    ☆    ☆


 長野駅で下車。新幹線を迎え入れるにふさわしい大きな駅である。

 観光案内所に入り、戸隠神社への行き方を尋ねる。目的地は戸隠。出発前夜に眠い目を擦りながらパソコンを眺め、四、五分で決定した旅行計画である。戸隠と言えば、最近巷で騒がれている。パワースポットがどうとか、こうとか。あまり詳しくは知らない。ああも騒がれると逆に敬遠したくなるのが私本来のひねた根性であるが、今回はとにもかくにも、実に久方ぶりの休暇である。長い刑期を終えて娑婆に出てきた囚人のような解放感と期待値がある。大きな失敗はしたくない。ある程度見どころのあるところに行きたい、という安全志向と、本来のひねた根性が葛藤。結局安全志向が勝ちを収めたのである。まあ、巷であれだけ騒がれるには何かしらあるのであろう。火のない所に煙は立たないと言うし。

 ところが案内嬢の話を聞くと、神社と言っても、大きく分けて宝来社、中社、奥社の三社からなる集合体であり、その規模は私の想像をはるかに超えて大きいことを知った。おまけにメインである奥社は冬期ゆえ、バスがそこまで行かないという。車なしで行きたければ、中社から三十分くらいかけて歩いて入口まで辿りつき、そこからさらに三十分以上、参道を歩かなければならない。ただし積もった雪をかいてないので、歩行はかなり困難を極める。靴は何ですか? え? 革靴ですか? だったら、滑るかもしれませんねえ。

 よくよく考えてみれば今は弥生三月、我が街松本は春の兆しを感じ始める陽気であるが、戸隠は冬の真っ只中である。少し頭を働かせれば、それくらいは当然思い至るべきことである。その地を目指す本日の私の旅装は、デニムに通勤用の合皮の革靴。大事な場面ですらこうも場当たり的でいい加減なところが、私の人生を今一つぱっとしないものにしているのであろう。

 私は少しだけ青くなりながら戸隠行きのバスに乗り込んだ。

 バスは坂道を上る。ぐんぐん上る。二十人近くいた乗客も、善光寺を過ぎると三分の一。道路は高架となり、そのまま宇宙へ飛び出しそうな気配で上昇していく。熱く感じるほどだった座席下の暖房もいつの間にかひやりとした風に変わり、車窓の風景は残雪とは言えないほどの積雪量を見せてくる。トンネルを抜けたら、川端先生の名言通り、完全な雪国となった。スキー場らしきものを通過する。スキー場?

 薄曇りの戸隠は、未来永劫、ここには観光に来て楽しむものなぞ何一つないぞと言わんばかりの峻厳な表情で、能天気な旅人を迎え入れた。


 中社宮前にて下車。すでに相当雪が積もっている。神社正面の石段はとてもじゃないが上がれない。緩やかなスロープとなったわき道を、雪で靴が滑らないように用心しながら上がる。私の他には誰もいないかと思ったら、大学のゼミ仲間のような集団がわいわい言いながら参詣していた。なるほど古い神社である。しかし学生が七、八人も連れ添って訪れる観光地にはとても思えない。早々に参拝を済ませて降りる。

 その足で近くの『うずら家』というそば屋の暖簾をくぐる。狭い階段を上がって二階席に通される。どこからこれだけ集まったのかと思うくらいの賑わいである。この冬場でも、参拝客は多いのだろう。隅の席に陣取り、ようやく人心地つく。ざるそば一枚と、表の張り紙で自慢していたので、天婦羅を注文する。

 しばらく思案した末、日本酒を冷やで追加注文する。午後は奥社も探訪する予定である。飲酒は後回しにすべきだという良心の声が聞こえなくもなかったが、気分に従うのも旅の掟、と妙な理屈を捏ねて、良心とやらを片隅に追いやってしまった。

 『豊香』という諏訪地方の地酒を試す。名の通り風味豊かであり、旨い。天婦羅も店が自慢する通り上等に揚げてある。すっかりいい気分になって、仲居さんを捉まえ、奥社までの生き方を尋ねる。

 ───前の道をただまっすぐ進めばよろしいですよ。ええ。奥社の入口に着きます。え? はあ、そこからは長靴でないと歩けませんよ───。「長靴?」と私は驚いて聞き返す。長靴なんて、長野駅前の案内嬢もそこまでは言わなかった。酔いが一気に醒める思いをしていたら、奥社入口に一件あるそば屋で長靴を貸してくれるはずだと言う。なるほどそれはありがたい。「それにしても、みんな長靴を履いてまで参詣するんですか?」───ええ、何だかいろいろ話題になってからね。奥社のご神体は冬の間は中社に移してあるから、あそこには今行っても、何もないんですけどね───と、つけ加えられた。それこそ仰天の事実である。では人々はいったい何のために冬場に参詣するのか? それとも、みんなこの中社で終わって、奥社までは行かないのだろうか? ほろ酔い加減の頭ではよくわからない。深く考えたくもない。まあそれなら、飲酒参拝も大っぴらに許されるわけだと都合のいい結論をつけて、私は席を立った。

 宿坊を幾つか訪ねて、一泊できるところを探す。日帰り客が多いのか、それに冬場という事情が重なってか、本日休業の札を掲げた所が多い。四件目の『大西』にして、ようやく一泊の許可を得ることができた。フロントで何度も声を張り上げて案内を乞うと、婆さんが出てきて、しばらく思案顔に私を眺めていたが、まあ、いいでしょう、と請け合ってくれたのだ。この婆さんが、まあ、よくないですと言ったら、私はこの晩、路頭に迷っていたかも知れない。

 リュックを部屋に置き、日が沈まないうちにとすぐに出発する。向かうは奥社。


 道路をひたすら歩いて北上する。左右の路肩には、除雪された雪が胸の高さくらいまで固まり、その奥に広がる森もまったくの雪景色である。行き交う車は極めて稀。歩行者に至ってはまったく私一人である。この季節はバスが無いので、皆マイカーなのであろう。見上げれば曇天、見渡せば枯葉一つない寂寥とした白樺林。木立の向こうには、冷凍保存されたような戸隠連峰を仰ぎ見る。天涯孤独とはこういう状況だろうかと思いながらひたすら歩む。

 何を求めて自分は旅に来たのか、と改めて自問する。自由、か。自由とは、こうして薄暗い空の下を一人とぼとぼ歩くことなのか。それは心地よくもあり、寂しくもある。誰にも監視されない自由。しかし誰にも見守られない孤独。それにしても、と私は前と後ろを交互に見渡す。ほんとうに人も車も通らない。不気味なほどに静かである。出会い。やはり出会いがなければ。旅とは出会いであり、出会いとはつまるところ自由ではないか。

 私は歩きながら路肩の雪を撫でる。

 出会いとはしかし、そんなに大そうなものなのか。どんな出会いが期待できるのか。人はそもそも、人によって満たされるのか。

 一台の車が背後から現れ、私を大きく避けて追い越し、排気ガスの臭いを残して去っていった。

 人は人を満たすことができるのか。否。否。できるはずがない。人を求め、人を愛し、人に癒され、ときに人から至福感を与えられはしても、それらはみな、頂点に達した噴水の飛沫、すぐに落下していく。やがては不信と不安にさいなまれ、人を疑い、人に傷つけられ、人を傷つけ、終局人に悩むようになる。人に期待すれば、必ず期待外れの部分を見出して裏切られたと憤る。たとえ期待通りだったとしても、新しい玩具を手にしたよりもすぐに飽きを覚え、もっと違う何かを、もっと違う刺激を、もっと違う出会いを、と呪われたように独り言をつぶやきながら彷徨し始めるのだ。

 背後からエンジン音が聞こえ、車がまた一台やって来る。まるで野猿にでも出会ったかのように距離を置いて私を追い越す。

 いや違うぞ、という声が、心の反対側から聞こえてくる。人は人によってしか満たされない。ところで、私が今現在歩いているのも反対側だった。本来右側通行すべきところを左側通行していた。道理で、さっきから追い越す車がどれも迷惑そうに弧を描いていたのだ。普段車ばかり運転しているからこういう勘違いをしでかすのだ。

 自省しながら白線をまたぐ。まあ、この大自然の只中では、回虫みたいに細く伸びるこの道のどちらを歩こうが、大自然そのものはまるで気にしないであろう。

 何を考えていたっけ。そうそう、人は人によってしか満たされない。まさにその通り。今回の旅だって、いろいろ鹿爪らしいことを言ってみても、結局、新たな出会いを求めているのではないか。心のどこかが堪えがたく寂しいから旅に出たのではないか。とすると、家族ある身としては結構ひどいことを自分はしていないか。私は彼らを、私を待つ人たちを、裏切ろうとしているのか。

 次第に背中が汗ばんできた。コートのジッパーを開ける。

 私はなぜ、一人旅を選んだのか。

 リセットだ。リセットをするためにここに来たのだ。一年中仕事に忙殺され、何のために何をなすべきかを見失いそうな気がしたから、自分のやってきたことと、今後自分がやり続けるべきことをじっくり見つめ直すために旅に出たのだ。おそらく肉体的によりも精神的に蓄積した慢性疲労を、五体からしっかりこそげ落とすために、電車に飛び乗ったのだ。

 決して裏切りや逃避ではない。もちろん。そうだ。私は家族を愛している。

 コートを脱ごうと袖を外しかかったが、冷えた汗を撫でる風が冷たいので、思い直した。

 リセットだ。これは私が、帰還後再び元気良く仕事を始められるための、一年に一回のリセットの旅なのだ。

 それでこんなうそ寒い光景の道を、一人とぼとぼ歩いているのか?


☆    ☆    ☆


 道を間違えたかと不安に襲われ始めたころ、ようやく奥社入口に着いた。

 なるほど、一面さらなる雪景色である。山門から真っすぐに伸びる参道も例外ではなく、聞いてきた通り、除雪作業を一切受け入れていない。山門の前にそば屋が一軒見える。これも『うずら家』の情報通り。見れば、札が貼ってある。長靴の貸し出し、半日二百円、一日三百円。長靴のみならず、スノーシューやノルディックスキーの貸し出しまである。ノルディックスキー?

 長靴を半日借り、雪の上へ歩を進める。

 雪の表面は、何人もの足で踏み固められている。深さは推し量りがたい。ときどきくるぶしまですっぽりはまることがあり、長靴の有難さを思う。参道はどこまで見渡しても真っすぐである。両脇は冬木立が視界を覆っている。道筋は明瞭である。私は一歩一歩、雪を踏みしめて歩く。

 遥か前方に人影が現れる。若者四人組である。観光客というのは、マスコミが取り上げさえすれば、こんな雪深いところまで足を伸ばすのである。つくづくもの好きな人たちである。自分のことを差し置いて心で笑う。

 四人組は近づき、私とすれ違い、通り過ぎていった。するとまた、前方に人影が点となって現れた。まるで順番を待っていたかのようだ。今度は男女二人組。近づき、すれ違う。日本酒がようやく回り始めたのか、旅の高揚感からか、気がつけば、私は彼らに声を掛けていた。

 「こんにちは」

 「こんにちは」

 向こうも元気よく挨拶を返す。

 また人影。今度は外国人男性二人連れである。二人とも白人で、一方は太っていて、一方はそれほど太っていない。どちらもサングラスをしている。白人の二人連れというのは不思議とこのパターンが多い。私は敢然と歩を進めながら、彼らとすれ違う際には、ハローではなく、絶対に「こんにちは」にしてやろうと、心に決めた。彼らはこの国に興味を持ち、この国を旅しているのだ。英語で挨拶されるよりは、日本語の挨拶をされた方がよっぽど喜ぶであろう。いや喜ぶ如何にかかわらない。ここは日本である限り、日本語で挨拶すべきなのだ。

 たかが挨拶一つに大層な意気込みを抱き、私は彼らとのすれ違いざまに「こんにちは」と声を掛けた。

 二人組は照れたような笑顔を見せ、頷き、去っていった。挨拶を返さなかったところを見ると、どうも日本語をあまり勉強してこなかったらしい。旅先の国の挨拶言葉くらいは練習して来るべきだ。それにしても、奥社はまだかしら。

 ようやく着いたかと思った通用門は、奥社と奥社の入口の中間に位置する随神門であった。

 いまだ道半ば。仰げばまだまだ先がある。道の左右には、樹齢を数世紀数えなければならないような立派な杉が連なっている。視界はさらに狭められる。両脇にずらりと並ぶ大樹たちはまるで、捧げ銃をした巨大な護衛兵たちだ────彼らが護るのは、もちろん我々旅人ではない。我々無遠慮な侵入者から、神殿を護るのである。

 さらに先を行く。何だか様子がおかしい。道は緩やかにうねり始め、勾配がつき、いよいよ雪山登りの観を呈してきた。息が切れる。体が汗ばむ。どうも一合のひや酒が本格的に効き始めたらしい。

 ぜいぜい言いながらがむしゃらに歩いていたら、親子三人連れに追いついた。赤いダウンジャケットを着た、やんちゃな少年時代の面影が抜け切れていない父親と、おしとやかさの見本のような母親と、おさげ髪の女の子。

 「マユも杖を持つ。杖を持つからマユに貸して」

 杖とは父親が持っている長い木の枝のことである。

 「手にとげが刺さるから用心するんだよ。転んだらすぐ手を離すんだよ。とげが刺さるから。ほら、転んで目を突いちゃだめだよ」

 父親はとんでもない用心を強いる。娘が可愛くてしょうがないのである。

 雪道はいよいよ急勾配に、しかも階段状になってきた。しかしこんなおめでたい幸せ家族が登っているのだから、もちろん私に登れないはずはない。私は息切れを悟られないように挨拶をして彼らを追い越し、ヒマラヤの羊飼いさながらにぐんぐん登っていった。

 最後は冗談かと思われるほどの坂道を、どこかの栄養飲料のコマーシャルさながらに一息に駆け上がり、ついに奥社にたどり着いた。

 二千年の歴史を持つと言われる戸隠神社、その中でも最も山中に位置する、岩戸伝説の天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)を祀る奥社。

 私はついにたどり着いたのだ。雪を踏みしめ、坂道を登り詰め、人界から遠く隔たったこの聖域へついにたどり着いたのだ────とは言え、一向に達成感のある光景ではない。鳥居は四つん這いにならないとくぐり抜けない状態である。奥社の神殿に至っては屋根まで雪の中である。これではご神体を冬の間移転させるわけである。私は百メートル走を立て続けに四本走らされた中学生のように全身で息を切らし、雪の上に大の字に寝転がった。

 空も山も、全てが真っ白い世界である。死のことを、何となく思う。

 生きるとは、死に場所を探し求めることではないか。すると旅とは、潜在的に臨終の地を選ぶ行為か。旅に生き、旅に死すとはそういうことか。ひょっとして、旅そのものが、日常の自分を葬り去る儀式なのではないか。死の仮想体験。馬鹿馬鹿しい。しかし、この冷たい無の静けさは、妙に心を落ち着かせる。

 親子三人連れが遅れて登ってきた。おさげ髪の女の子は相変わらずべちゃべちゃとしゃべり続けているが、息の切れている様子はない。こしゃくな娘である。

 雪に埋もれた神社を見下ろす位置から、三人手を合わせる。

 「お友達がたくさんできますようにってお願いしなさい」と父親。

 「お友達がたくさんできますように」と娘。

 四月から小学校に上がる娘なのであろう。まったくもって平和な家族である。死闘を終えたボクサーのように肩で息をしている私を残して、彼らは来た道をまた下っていった。

 私は一人、虚無の世界に残される。

 四半時は景色を見つめていたろうか。

 膝に手を当てて立ち上がる。時間だ。私も、引き返さねばならない。


☆    ☆    ☆


 帰路は往路よりもずっと楽であった。雪上に散る杉葉を踏みしめる音だけが、時折かすかに耳元を賑わす。陽は差さないが、野原はぼんやりと明るい。

 何組かの参拝客とすれ違う。ノルディック中の集団も林間に見かけた。ノルディックスキーとはこういうことか。なるほど、ここにはいろんな楽しみ方があるらしい。

 私は歩きながら再び考えに耽る。

 現代人は非現代を求めている。これも非現代だ。ご神体すらない、雪に埋もれた神社になぜわざわざ行ってみたのか、また少なからぬ人々がなぜ同じような行動をとるのか、そこを突き詰めると、結論はそういうところに行きつく気がする。現代人は非現代に強く惹かれている。では、非現代とは何か。古さ。素朴さ。懐かしさ。自然。悠久な時の流れ。原始的な活動───例えば、道なき道を歩くような。神秘。現代が失ってしまった何か。

 なるほど。それならば逆に、現代とは何か。これがなかなか難しい。

 ふと気紛れを起こし、数百年の樹齢を持つ大木の肌に手で触ってみる。温かい。温かい気がする。不思議に思い、別な樹に次々に触ってみるが、やはり同じである。温もりを感じる。それも、樹齢が経ったものほど温かく感じる。試しに神門の柱にも触ってみたが、これははっきりと冷たかった。木材として切り倒され加工された時点で、温もりは消えるのである。私は感動を覚えた。

 現代とは、よくわからない。その渦中に生きているが故に。水に泳ぐ魚に水が見えないのと同じく、現代に生きて現代に対する見通しはさっぱり利かない。が、しかし、現代とはあえて言うなら、生きている樹が温かい、といったごく身近で原初的な現象に気づかなくなっていくことではないか。我々が靴を履き、道路を造り、都会で暮らし、テレビやパソコンの画面にくぎ付けになってさまざまな情報を得ようとあくせくした結果が、そういうことなのではないか。


 奥社入口まで戻ってきた。長靴を借りたそば屋の看板を改めて読むと、『なおすけ』とある。なかなか小奇麗な店である。長靴を返すついでに店に入り、鴨南蛮とビールを注文する。他に客は、七十に近いのではなかろうかと思われる男性が一人。鎖付きサングラスにショッキングピンクをあしらったウィンドブレーカーを着こんで、コーヒーを飲んでいる。聞くと、毎年ノルディックに来ているらしい。元気溌剌の老人である。

 現代に生きながら非現代を享受する、豊かさかな。

 夕刻に店を出て、来た道をまた三十分かけて引き返す。少し肌寒さが増している。長い帰り道も、もちろん、歩いているのは私一人であった。

 中社帰着。一件だけある温泉場に歩いて行き、旅の垢を落とす。


 宵闇が降りる頃、『大西荘』に戻る。浴衣に着替え、二間をつなげたがらんどうの空間に大の字になる。

 何もすることがなくなった。

 食事に呼ばれ、一階に下りる。長机が無愛想に並び、研修所にありそうな食堂である。畳敷きの広間もあるのだが、今夜は地元の消防団の会合があって使えないらしい。そのことはすでに『なおすけ』のマスターから聞いていた。彼自身が消防団員で、私が宿泊する宿名を告げたら、今夜そちらでまたお会いするかも知れませんよと教えてくれたからだ。狭い集落である。

 宿泊客は私一人かと思っていたら、もう一人いた。女の人である。

 別々の長机に同じ方向を向いて座るよう膳が用意されているので、女の人の斜め後ろに座らされた私からは、彼女の背中しか見えない。向こうも一人旅なのだろうか。食堂に入ってきた私を見ると小さく会釈して、あとはそのまま背中を見せたきりである。

 静かに食事は進む。

 女性は決して振り向かない。私はちらちらと女性の背中を眺める。私と同じくらいの年齢と推察される。慎ましさを形にしたような後ろ姿である。首筋には凛とした艶がある。旅の出会いとドラマというものの可能性についてひとしきり考えさせられる。

 これがせめて斜向かいででも向き合っていれば。声を掛けて旅先の会話の一つくらいできるのだが。新入社員のセミナーじゃあるまいし、どうして同じ方向を向いているのだ。おまけに宿坊の子どもたちが現れた。似たような顔が三体。長男は壁際に設置されたパソコンを使い、次女は脇からそれに横槍を入れ、三女は女の人と顔見知りらしく、しきりに話しかけては彼女の食事の邪魔をし始めた。おかげで旅のドラマの可能性は永遠に失われた。

 旅のドラマ? いやいや、私には家族がある。何を妄想しているのか。妄想と言えば、旅それ自体がそもそも妄想の産物ではないか。旅人という妄想上の立場に自らを置き、道行く先の何でもない風景や大したことのない出会いに妄想を膨らませ、いつしか思い出とすることで妄想のアルバムを完結させる。

 考えてみれば、何とも安価なアミューズメントである。

 入口の扉が開いたと思ったら、『なおすけ』のマスターが顔を出し、私に挨拶してきた。私はできるだけにこやかに挨拶を返した。十分楽しんでいるよ、という意思表示である。

 半時もかけずに食事を平らげると、箸を置き、席を立った。女性とはまた軽く会釈を交わした。改めて横顔を見れば、目鼻立ちの整った、美しい人であった。

 私は一人、すごすごと部屋に帰る。


 部屋にはすでに布団が敷いてある。だだっ広い部屋に一人分の布団は、むしろ哀愁を誘う光景である。布団の上に寝転がる。時刻は午後七時。

 依然として、することがない。

 それにしても広い部屋である。私の持ち物を全部広げても、大人三、四人が横になるスペースが十分残るであろう。

 まだ眠くない。何しろ午後七時である。

 寝返りを打ち、頬杖を突く。床の間のテレビが、今か今かと出番を待つように黒々とした顔を見せて鎮座している。私はテレビのリモコンに手を伸ばさない。手を伸ばしたくはない。今夜はテレビを一切観ないつもりである。何しろせっかく旅に出たのだ。しみじみとした旅情を、東京のタレントたちの黄色い声で汚されるわけにはいかない。新聞は駅のキヨスクで買い、行きの電車で読んだ。がしかし、テレビは駄目だ。だいたいテレビなんて観ても後悔するだけである。平生もほとんど観ない。教育上、子どもに見せたくないから、自分たちも観ないポーズを取っている。そうやって普段禁欲している分、今回のように一人きりになる機会があれば、くだらない番組を思う存分観たいという誘惑が、この部屋を飛び回る蚊のように心騒がせる。蚊は私の耳元まで近づいて囁く。ボタン一だよ。ボタン一つ押しさえすれば、少なくとも二時間くらいはあっという間に潰せるぜ、と。

 現代人はすべからくこの誘惑と闘わなければならない───私は再び、現代と現代人についてひとしきり考え始めた。この誘惑とは何か。片時も一人きりにならなくて済む、という誘惑である。じっと一人で考え事でもしようと喫茶店のドアを押し開けても、コーヒーが運ばれ、いざ空白の時間が出来ると、手はポケットの携帯電話に伸びていつの間にか親指でいじっている。家に帰れば真っ先にテレビのスイッチをつける。テレビが面白くなかったらパソコンを立ち上げる。テレビもパソコンもない場所ではイヤホンを耳に当てて音楽をかける。何かがある、という状況を、我々はほぼ四六時中作っている。そうすることで、何もすることがない、という寂寥感を免れているのだ。

 我々は人生という手持ちの時間を、くまなく何かで埋めようとしている。それも多くは、さほど楽しくもなく、苦しくもなければ、感動もないような事柄でもって。

 カーテンの外は車の通る音もしない。

 罠。これはひょっとしたら、何かの罠ではないか───私は顎に両の拳を当てて考えに耽る。罠とすれば───例えば、我々民衆を飼いならすための罠。我々は画面に視野を拘束され、洪水のように注ぎこまれる情報に思考を奪われ、時間を「健全に」、「大人しく」、「消費社会的に」潰すことで、実は、大きな行動、大胆な反抗、冒険的な動きが採れない状況に陥っている。社会に対する鬱屈した気持ちは、馬鹿げたテレビ番組を観て晴らそう! 欲求不満はパソコンをいじっていたら解消するよ。だから独りでそう真剣に考え込まないで。ほらほら、あなたの携帯電話が鳴っている!・・・・言葉に表出しないこれら無数のメッセージを日々受け取ることで、われわれは見えない権力に操られているのではないか。確かええと、大学時代に学んだ、ミシェル・フーコーとかいう坊主頭のフランス人もそのようなことを言ってなかったか知らん。

 私はテレビのリモコンを握り、ボタンの位置を確かめ、元に戻す。松本駅で買った新聞のテレビ欄を広げ、この時間帯にどうしても観たい番組がないことを確認して、なぜか安堵の溜め息をつく。

 階下から声が聞こえる。消防団の宴はたけなわである。

 私は寝返りを打ち、天井を見上げる。

 さっきから、現代がどうとか現代人かこうとか、大風呂敷を広げたようなことを豪語しているが、どうやらこれは、現代の問題なんかではない。ひっきょう、私一個人の問題である。私自身が、問題である。私はなぜ落ち着かないのか。何をしていても何をしていなくても、何かしら物足らなさを感じているではないか。それはなぜか。

 なぜと問うのは、なぜか。

 畜生。私は寂しいのか?

 私は拳を突き、布団の上に立ち上がった。大きな影が部屋に伸びる。窓辺に寄り、カーテンをめくる。果てしない闇を睨む。布団の上に戻り、浴衣をはだけて座りこむ。

 意味だ。意味だ。意味だ。結局、意味が必要なのだ、この男は。自分のとる行動すべてにおいて、費やす時間すべてにおいて、見るもの聞くもの、遊ぶもの、金をかけるものすべてにおいて、意味を求めたくなるのだ。意味のないことはしたくない。無意味なことで時間を費やしたくはない。沈黙とは、まさに無意味である。日常は何かと忙しくしているが、それだってすべからく無意味に思えてくる瞬間があり、その瞬間の到来に怯えているからこそ、さらなる忙しさを求めるのだ。意味ある旅に出ようと電車に飛び乗ったはよいが、ただこうやって宿で寝ることに意味があるのかと問い始めれば、それだけでもう心落ち着かなくなる。意味だ。しっかりと充足できる意味を見いだせないと、そこに安住できない性格になったのだ。

 これは病気ではなかろうか?

 ひるがえって見れば、もう二十年近く前になろうか。大学時代に一年間休学して、私は日本国内を放浪した。辿り着いた先、北海道は札幌の公園の一角で、私は一人ベンチに座り、長旅の疲労と孤独にうつむいていた。そのとき、陽の当たる赤レンガ敷きの地面に一匹の蟻がうごめくのを見つけた。餌を運んでいたのだろうか、頼りない足取りで歩く蟻を眺めているうちに、私は言いようのない高揚感を覚えた。ああ、美しさとはこのことだと思った。美しさに高尚な意味なんてない、そもそも存在するもの全てに大した意味なんてない、まさにここにこうしてあること、それが美しさだと私は悟った。それがどうだ。現在の無意味恐怖症ぶりはどうだ。あの二十年前の気づきより、今の私は退化したということか? それとも、それともあのときでさえ、蟻一匹のうごめきにすら意味を見出そうとした、あれさえも無意味恐怖症の一発症例に過ぎなかったのか?

 どこまで、意味の行列に追われて、この男は生きてきのだ?

 考えるのに疲れ、私は眠りに落ちた。


☆    ☆    ☆


 翌朝は曇天であった。短い一人旅に終止符を打ち、帰宅する日である。

 宿を出て、早朝のバスに乗る。今朝の戸隠は全体が濃い霧に覆われている。宝来社で途中下車し、神殿を見る。これで三社全部を一応拝観したことになる。

 再びバスに乗り込もうと停留所に行ったら、三十代前半とおぼしき青年がベンチに腰掛け、缶コーヒーを口に含んでいた。寝不足のようでもあるし、じっと考え込んでいるようでもある。縁の太い眼鏡に、無精ひげの浮き出た細い顎。見るからに大学関係者である。

 私は興味を覚え、ベンチの隣に腰かけ、旅人同士の挨拶を交わした。訊けば、彼は名古屋の大学講師で、ゼミの研修で戸隠を訪れたとか。今日は名古屋に戻るらしい。専門は土木。「土木と言ってもですね」と彼ははにかみながら弁明を入れた。「一般の人が想像するような、道路を造ったり橋を掛けたりとかいったものではないんです」

 では何を研究するのかと訊くと、都市計画に関することだと答えが返ってきた。

 バス停の前の道路は相変わらずほとんど車が通らない。向かいの木立は霧のため、うっすらと白い。

 都市計画ならば、例えばどんな街づくりを理想とするのか、私は重ねて尋ねた。

 「神社です。中心となるのは」

 神社?

 私は身を乗り出した。詳しい説明を求める私に対し、彼は大学講師らしく、実にわかり易く説明してくれた。もっぱら私が質問し、彼がそれに答える形式で、我々の会話はバスに乗り込んだ後も続いた。

 バスは霧の戸隠を蛇行しながら下山していく。標高が低くなるにつれ、霧は徐々に晴れてくる。さまざまな谷間がさまざまな春先の表情を見せる。

 彼の話を要約すると以下のようになる。

 街づくりに関する彼の考え方に大きな影響を与えたのは、昨年の3・11の東北大震災による津波の被害であった。あの巨大な津波は、いくつもの町を丸ごと消滅させた。その一方で、津波が到達しなかった高台がいくつか存在した。興味深いことに、古くからある神社はだいたいそういう高台に位置していたという。つまり、今回の津波で近現代の家屋の多くが流されても、古い神社は流されずに残っているのである。

 昔の人は、代々蓄積されてきた経験で、どこまで津波が来るかを知っていた。そして津波の来ない場所に神社を建立することで、そこをいざというときの避難場所として確保したのだ。神社には信仰面だけではなく、共同体の危機管理上でも大きな意義があったことになる。神社は大概、伐採を禁じた森を周囲に持っていたので、生態学的にも多様な生物の保存場所となる。神社はまさに、ノアの箱舟的存在なのだ。現代の街づくりに、古来の神社の存在を活かせないだろうか───そういったところが、彼の論旨であった。

 神社のような「非科学的な」存在を持ちだすので、学界では異端と見なされ、ほとんど受け入れてもらえないという。どうしても神がかり的に見られるのが悔しい、と彼はこぼした。しかし彼らを説得するには、とにかく実証が足りない。神社がどれだけ実際面で役に立つかという科学的実証例が足りない。

 そう語る彼の顔は、しかし活き活きしていた。淡々と語りながらも見つめる一点は明らかに未来に向けられていた。

 そうか。私は目の覚める思いがした。この人が旅に出るのは、学ぶためなのだ。感傷に浸るだけが旅ではないのだ。当たり前のことだが、私はそこに盲目であった。人は旅に出て賢くならなければいけない。どんな知識を得るかは各自の選択と偶然に委ねられる。そして旅から帰宅してのちも、旅先と同じ行動力でもって、学んだことを活かし、何かを変えていかなければならない。小さなことであれ、根本的なことであれ。行動の結果がどうなるかはわからない。それこそ、人生においてどんな決断をするにせよ、それが正しいと確信するには実証が足りない。しかし、我々の眼前にはすでに、そしてつねに、幾つものひっ迫する現実問題が横たわっている。旅はそこからの逃避ではなく、そこへ立ち向かうための助走でなければならない。少なくとも、帰宅を前提とした旅はそうだ。期限のある旅はそうだ。

 学ぼう。学び、考えよう。久しぶりに大学人の空気に触れ、私はうきうきしている自分を感じた。彼の話は実に面白かった。前の席に座っていた関係のない地元の老人が話に割り込んでくるほどであった。


 長野市の善光寺前で私はバスを降り、大学講師に別れを告げた。善光寺はそろそろ降り出した雨に打たれ、淡い色に沈んでいた。私の旅は終わりに近づいている。善光寺を観て、ついでに美術館を一つ覗けば、私の乗る松本行きの電車が出る夕刻になろう。松本に帰りつけば、また家庭と仕事場を往復する日々が、今回の一人旅に関係なく淡々と始まることであろう。未解決の問題は依然として未解決のまま、悶々とした事柄は依然として悶々としたまま、そこに存在し続けるだろう。

 それでも私は、この旅に出る前より少しは力強く、歩き続けることができるのではなかろうか。

 私は傘を握り直した。

 旅は期待に始まり、希望に終わる。まあ、それはそれで、よしとしようではないか。



(おわり)





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