『海辺の女』

 



 日本海さま


 久しぶりにあなたにお会いしたくてやってきました。どうしても海が見たくなることがあるんです。

 あなたは相変わらずですね。何て言うか、広々というか、静かというか、勝手気ままというか、まるでうちの会社の上司が二日酔いしたときみたいに、憮然としておいでですね。私、あなたのそういう傍若無人なところが好きです。うちの上司は大っ嫌いですけど。器の大きさが違います。

 海に向かって手紙を書くのは、私初めてですわ。だって私、海に一人で来て、退屈ですもの。座るところがないから浜茶屋に入ったんですけど、女の一人客って珍しいらしく、随分変な目で見られてます。この人、入水自殺するんじゃないかくらいに思われているんでしょう。ま、そう思われても仕方ないし、実際しても構わないくらいの気持ちはあるんですけど。でも、こんな馬鹿みたいに明るい海岸では死ねませんわ。周りを見渡しても馬鹿面ばっかりですもの。

 私の隣にいる若者たちなんて、入れ墨を入れた腕をこんがり焼いて、まるで焼け出された仏像みたいな恰好でにやにやしてるんだから、あのままもっとこんがり焼いて炭にでもした方が誰かの役に立ちますわ。

 お昼時のせいでしょうけど、子どもたちはまた、どうしてラーメンばっかり啜ってるんでしょう。こういう浜茶屋のラーメンが美味しいわけないじゃないですか。自分の顔の倍ほどもある碗に顔を埋めて、ずるずる啜ってるけど、結局最後は残して親に叱られてるんだから、馬鹿馬鹿しいったらありゃしない。

 そんな中で私一人、黙々とあなたに手紙を書いてたりするもんだから、ちょくちょく茶屋のおばさんたちが遠巻きに覗きに来たりします。ワンピースなんか着てるし、到底海で泳ぎそうにないし、これで手紙を書き終えてから波打ち際にでも歩いていけば、いよいよ警察に連絡されそうですわ。そんな風に想像するとちょっと愉快です。ほんとに入水してやろうかしら。みんな大騒ぎになるわよね。すぐ助けられそうだから、そこが難しいところだけど。

 もしここでうまく死ねたら、あの人、泣いてくれるかしら。泣かないでしょうね。今幸せなんだから。ちょっと暗い顔をしてみせて、「聡子らしい死に方だな」なんてうそぶいて、勝手に納得するんでしょうね。男なんてそんなもんよ。会社にも知らされるかしら。深田課長が聞いたら、「真面目すぎるのも困ったもんだ」って言うわね、絶対。あの人の口癖なんだから。「君は真面目すぎるからだよ。たまには飲みに付き合いなさい」って。死んだら飲みにも付き合えませんよ。私が独り身になったからって、独り身になったからって、何よ。寂しさを紛らすために飲んで好きでもない男に抱かれたりなんか、私はしませんよ。失礼よ。やだ私、風で砂が目に入ったのかしら。

 ねえ海さん、あなたって、いろんな汚いものを全部引き受けてるでしょう。川から、船から、海岸から。工場の排水とか、ゴミとか、変な死体とか、あそこでラーメン啜っている子たちが海の中でしたおしっことか。あの子たち絶対おしっこしてるわよ。そんな風にね、汚いものを毎日毎日どしどしと受け入れてるのに、どうしてあなたは、いつも平気なの。平気かどうか知らないけど、平気に見えるのはどうしてなの。

 そよ風が心地いいわ。

 さ、手もくたびれてきたし、そろそろペンを置いて、波打ち際に歩いていこうかしら。怪しまれるかな。こんな泣き腫らした目で女一人波打ち際に向かっていったら、どう考えても怪しまれるかな。でも、海さん、安心して。私ここじゃ死なない。私の穢れた体であなたを汚したりしない。ただ、ちょっとあなたに触ってみたくなったの。あんまりあなたが平然として美しいから、そういうあなたに素足を浸したくなったの。

 ねえ。海さん。

 お願いだから、私を洗って。





homeへ

 
Copyright (c). 2015 overthejigen.com